こんにちは
2018年秋、私は神戸から宮城県加美町に移り住み、養蜂を始めました。
加美町は母が生まれ育ったまちで、実家では元養蜂家の伯父が一人暮らしをしていました。
伯父は父親(私の祖父)が始めた畑山養蜂を継ぎましたが、体を壊し40年ほど前に廃業していました。
一方、私は伯父が採蜜した蜂蜜を食べて育ち、養蜂を身近に感じていました。
はちみつが生活の一部であったことや、ローヤルゼリーで体質改善した実体験があることから、養蜂に興味を持ち始めました。
「養蜂を教えてほしい」
のんびり老後を過ごす伯父に申し出ました。
「養蜂を辞めてずいぶん経つし、しんどいから無理だな」
と断られました。それでも私は宮城に来ました。来たら教えてくれるかな、と思ったからです。
何気なく養蜂の動画を伯父に見せると表情が変わりました。
「懐かしいな、やっぱり蜂はいいな」
ミツバチの羽音を聞いてテンションがあがったそうです。
「伯父と姪」から「師匠と弟子」となり、40年ぶりに畑山養蜂が再スタートしました。
【突然の独り立ち】
養蜂に少し慣れてきた3年目の2021年5月、師匠が突然亡くなりました。
まだまだ教えてもらいたいことがたくさんありました。
それでも養蜂をやめる、という選択肢はありませんでした。
現在、私は蜜蜂の飼育・生産・販売までを一人で行っています。
一人で行っているからこそ、自信を持って安心安全なはちみつを提供しています。
ぜひおためしください。
養蜂家 吉田麻衣子
畑山養蜂 二代目 畑山元康
幼いころから父(初代)の養蜂を手伝っていました。
父は私に特に厳しく、うっかり蜂を1匹でも潰そうものなら
ハイブツールで頭をスコンと殴られたものです。
蜂に刺されると痛く、ゆっくりと蜂を観察する時間も余裕もありませんでした。
20代の時に北海道の養蜂場へ修行に出ました。
父がやっていた意味がようやく理解できるようになり、父と再び養蜂に没頭しました。
父が他界してからも黙々と一人で養蜂業を継ぎましたが。
「もう二度と養蜂をすることはないだろう。」
大量にあった巣箱や養蜂に関する道具、全て処分し養蜂業は辞めて別の職業に就きました。
気が付くと養蜂を辞めて40年経っていました。そんな時に突然姪っ子から連絡がきたのです。
「養蜂を始めたいから教えてほしい。蜂蜜やローヤルゼリー採ってたんだよね。私も採りたい!」
ローヤルゼリーを飲むとすごく体調が良くなったとか。
国産は手に入り難く外国産のを飲んでいるそうで自分で採れないものか、と考えたらしい。
そりゃそうだけども。
そう言われたって、、、そんな簡単ではない。
道具を揃えるにはお金もかかる。いろいろな理由をつけて何度も断りました。
「もう歳だから。」「覚えていないから。」
それでも、姪っ子は本当に宮城にやってきました。
来るなりインターネットで調べてきたものや、蜜蜂の動画を見せられました。
「懐かしいでしょう?」
40年ぶりに見たミツバチ。そうだこの羽音。心地よい羽音。
不思議と胸が高鳴ってきました。
そして気がついたのです。そうだ、私は蜂が嫌いで辞めたんじゃない。
「蜜蜂が好きなんだ!」
自分のミツバチに対する思いにようやく気がついた私は、
記憶を呼び起こしながら、あの頃とはまた違う気持ちで姪と一緒に楽しみながらやっています。